伊藤龍一のノート

行ってきた選択 | 伊藤龍一が日々思ったことを綴る日記です。


テーマ:伊藤龍一について

あるメンターから、
「なぜ、自分が今のことをやっているのか、その理由を紙に書き出しなさい。」
と言われた。

これまでの人生の指針が、どの様に形成されてきたかを、自身で把握しなさい、とのこと。

ここに整理しておこう。


中学校生まで

  • 殆ど何も考えていなかった。

高校(高専)の選択(15歳)

  • 殆ど何も考えていなかった。
  • 親の勧めどおり。姉弟ともども家から近い豊田高専へ。

大学への進学の選択(20歳)

  • 就職活動の段になって初めて、「自分は将来何になりたいのだろう」と疑問を持ち、答えを探すために進学する。

  • 「バドミントンを続けるために、高専の先生になれたらいいな。」との漠然とした思いもあった。→工学の博士号の取得が必要。

  • 高専からの編入では大学選びで偏差値(競争)という概念が無く、国立大学ならどこでも好きなところへ行ける感じ。(旧帝大だけはちょっと難しいっぽい。)

  • あらゆる学部が一か所に集まっている総合大学であること、キャンパスの雰囲気、各大学の研究テーマの中に自分のやりたいテーマがあるかどうか、アトピーなので寒い地域、といった条件で絞り込み、最後はくじを引いてもらって決めた。

院への進学の選択(22歳)

  • 当時、博士号を取りたい一心だった。環境分野の研究者を目指していた。

  • 研究をするにはお金がかかる。お金のかかる分野の研究室では、研究費を捻出するのに常に苦労している。私がいたのはその様な研究室。特に、環境分野であり、汚染を摘発して不都合な真実を世に知らしめる研究室だったので、企業から嫌われがち。そんな中で、研究資金の捻出のため、企業からようやく仕事(研究)を請け負い、研究成果を提供する。厳しい資金状態であることが、いつも教授の口から漏れていた。中には、資金を使い果たしてしまうも、クライアント企業の満足のいく結果が出ない仕事(=難しい宿題)だけが残ってしまったりする。
    私に4年生時に割り振られたのはその様な研究テーマ3つ。3つとも先輩たちが過去に成果を出せなかった難しい研究テーマだった。「先輩たちのアドバイス・意見を受けず、全て独自のアイデアで成果を出してほしい。(=この3つの研究案件を片付けて欲しい)」という条件下での研究だった。研究室自体は、最新鋭の機器(質量分析計 ←ノーベル化学賞の田中耕一先生が使っている機器)などがあり、当時、世間の注目の集まる研究分野であったが、私がこの大学(この研究室)を選んだ理由でもある花形の研究テーマは私の担当ではなかった。私は「縁の下の力持ち」担当。地味で、カッコ悪く、助けはなく、手間がかかり、疲れ、汚れ、誰にも注目されず、やる意義さえも感じられない、資金稼ぎ目的の失敗続きの研究テーマ。これが私が担当した研究テーマだった。

    自分のやりたいことに目をつぶり、必死で取り組んでなんとか4年生のうちにこの3つの仕事を片付けることに成功。

    「ようやく、自分のやりたい研究テーマに取り組むことができる」

    大学院への進学に、迷いはなかった。

博士課程に進学せずに就職を選択(24歳)

  • ようやく携わることができた研究テーマ(質量分析の世界)に没頭。田中耕一先生など、幾多のノーベル賞を輩出した質量分析計を使った研究。毎日が楽しかった。私の青春だった。
  • しかし、多くの研究者を見ていて、博士号を取得した先にある職業に魅力を感じられず、また、自分には向いていないだろうと思った。

就職先の選択(24歳)

  • 専攻していた環境分野と、Web系ITエンジニアの2つの道が頭に浮かんだ。

    1. 環境分野
      ⇒東京に本社のある会社の研究室に通う40年。

    2. Web系ITエンジニア
      ⇒住みたい場所に住み、自宅で家族を見守りながら暮らす40年。

    就職氷河期(自分が該当する2000年3月卒業生の求人倍率は過去最低)だったこともあり、当時、間口の広かったITエンジニアへの道を選択。この時、起業家・事業家への道を歩むと決めた。

    一方で、学生当時、尊敬していた多くの教授の力になれる何かをしたいと、常々思っていた。先生方が「研究資金の捻出」に苦労していることを常日頃感じ取る。

    「そうか。世に大きく貢献する研究を行っている先生方は研究資金を必要としている。それが不足しているが為に、社会貢献活動・研究の手を緩めざるを得なくなっている。自分は”研究資金を恒常的に無償提供する存在”になろう。そしてこれなら、頭の良くない自分でも、より多くの分野で世に大きく貢献できるかも知れない。これこそが、”自分の理想の人生”だ。」

    と考えた。

  • この時点で、「サラリーマン人生、生涯賃金3億円」という選択肢を自分の中から消し去る。自分はまずは資産家になる必要がある、と。(これはそのまま、家族(妻・子供・4人の親・夫婦の兄弟)の幸せに直結する、と)

  • とは言え、ひとまず、何をするにしても必要かつ有利となるITスキルを身に付けるため、システム開発会社に就職することにした。

  • 入社から1年ほどして、資産家になるための勉強を始める。具体的には「投資家」または「ビジネスオーナー」になるべく、経済・経営書、ビジネス書、金融関係の書籍の濫読や、株式投資などを始める。

転職の選択(26歳)

  • 思い描いた”理想の人生”とはかけ離れた、過酷な労働環境下での生活だった。

  • 朝9時から夜24時まで、食事の1時間を除く1日14時間勤務。その状態で2カ月間休み無しの時もあった。「終電まで帰るな」という上司の命令の中で、同期みんなで必死に働いた。

  • 無理がたたって顔面神経麻痺を患い、「体が持たない」、「このままではいけない」と思い、この会社に見切りをつけることにした。

  • 通勤時に独学で身につけていた「Webアプリケーション開発」やインターネット系のスキルを市場が歓迎してくれていたので、「そろそろ自分のスキルを活かそう」と思った。

  • この頃、将来の事業領域の選択において、「インターネットを使った教育事業」を立ち上げたいと考えるようになる。自分のライフワークと、市場のニーズとを満足する分野。それが「教育事業」だと考える。

転職先の選択(26歳)

  • 中小企業(自分が思い描く未来に近い会社)に入る。

  • 自分が持っているシステム開発のスキルを活かす事業と、自分が目指している「教育」事業の2つを柱とした、当時の自分にとってぴったりの会社。

  • Webプログラミングのスキルを高めつつも、中小企業経営の現場を一社員としてつぶさに観察。

  • 中小企業にもかかわらず、なぜか職場のエンジニアのスキルレベルは異常に高く、それに伴って自分のスキルが格段に向上した。(それを見極めた上でここに転職。思惑通り。)

  • なお、この会社は自分が独立した後、倒産。起業に関する多くのリスクを肌で感じ取ることが出来た。経営には、社員の質以外にも、多くの要素を具えていなければならないことを肌で感じた。

  • この会社の失敗要因を自分なりに分析・解釈し、徹底排除することで、後の自分のビジネスの立ち上げに成功。

プログラマーとしての独立の選択(28歳)

  • 有能な上司達が退職し、自分を高める環境として職場があまり機能しなくなった。

  • ヘッドハンティングを受け、独立できる、と思った。健康な体一つあれば、どこにいても生きていけるだけのスキルを身に付けた、と思った。

  • 会社にいるよりは、実際にフリーになった方が、経営の勉強になると思った。
    「家庭を持つまでは、将来のためにリスクをとって、後に備えるべき」
    「会社に依存しない、個人としての実力・市場価値を高めるべき」
    「”雇う側”の人々と、”雇われる側”の人々とは、考え方に大きな違いがある。なんとしても”雇う側”に回らねば。」
    との思いが強かった。

  • 若い時に、裸一貫の状態での自分の真の実力を試しておきたかった。

    「安定とは、焼け野原でも紙とペンがあれば、翌日から稼げる能力である。」
    神田昌典


  • ある日、私は前に勤めていた会社が倒産した知らせを聞き、一人泣いた。
    独立していたので、もう心は完全に離れていたと思っていたが、自分を信じて雇い入れてくれた社長や育てて下さった上司の方々への「強い感謝の気持ち」や「世の不条理」、「共に頑張った上司・先輩たちが別れ別れになっていく悲しさ」といった様々な感情が一気に押し寄せ、涙をこらえきれなかった。

     「倒産とは、こんなにも悲しいものなのか。
      自分が会社を興したら、こんな悲しい思いは決してしまい。」

1社のクライアント(依存していた)から離れることの決断(30歳)

  • フリーランスとなって自由になった、などと言ってはみても、実際には、企業に常駐させてもらっているただの個人事業主プログラマーだった。時間を切り売りすることを、早々にやめるべきと常々思っていたが、これを実行に移した。

  • その甲斐あって、ネットだけで食べれるようになり、仕事の場所や時間を自由に選べるようになった。

  • より高付加価値の仕事をする段階に進むべきだと思った。

  • メンターのアドバイス通り、「0から1にするスキル」、「投資先を見極める目」を養おうと思った。(投資能力ではなく、ビジネスを起こす能力)の習得を目指すことにした。

事業の選択

  • ネット上での「コンテンツ販売ビジネス」(ほぼ、原資がいらない)を選択。

  • まずは”確実に成功させること”を重視し、持っているスキルを活かし、1つ目の事業を立ち上げた。⇒開始1週間で黒字化に成功。

  • 現在、実績のあるビジネスパートナーと共に事業を立ち上げて、継続課金、コンテンツ作成、顧客サポートなどの実務を体で学んでいる。

今後の予定

  • 立ち上げた事業の高品質化、高効率化(外注化、システム化)。
  • 学術研究の成果をよりどころとした教育事業の推進。
  • 投資活動の継続。

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